瞑想する時は、毎日、同じ時間に
同じ場所で練習するのが良いと
教わったことがあった。
同じ時間というのは、習慣化すると
言う意味でなんとなく分かるけれど
同じ場所で、という理由が
わからなかった。
自宅とか、静かな森の木陰とか、
ヨガスタジオでとか、色んな場所
でやるのが気分も変わって、
新しい発見とかありそうじゃない?
と思っていた。
そこで、そう教えて下さった先生に
「同じ場所というのはなぜですか」
と伺ってみた。
その答えは、「瞑想すると、その
場所に清らかな良いエネルギーが
蓄積していくのよ」というような
ことだったと思う。
そんなものなんかなーと思って
いたのだが、先日、佐世保で
教会を訪れた時に、なんとなく
その感覚がわかったような気が
した。
教会や寺院などは本来、その地の
人が生活し、内観し、内省し、
祈りを捧げてきた場所である。
そのエネルギーが蓄積する場。
実際に、ヨーロッパを観光したり
して、その地の有名な教会を
訪れたりすることがある。
一歩、中に足を踏み入れると
一瞬にしてガラッと場の空気が
違うということを肌で感じる。
そんな感覚は、寺院などの世界中の
様々な宗教施設であったり、
戦争記念館などのモニュメントで
あったり、修行場とされている森や
洞窟などの自然に囲まれた地で
あったり、いろいろな場所で
感じられることがある、と思う。
イギリスで仲良くなった、
共同生活を送るシスター(修道女)の
お家に遊びに行ったことがあるが、
数ある部屋の一室が、
お祈り専用の部屋で、
まずそこを紹介してくれたのを
思い出した。
そのお部屋は、異なる宗教的バック
グラウンドの私が簡単に足を踏み
入れるのが憚られるような
清らかな空気があった気がする。
いつも同じ場所で、瞑想する。
自分のための瞑想の場を作って
みようかな。
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