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新しいことを学ぶ時、真っ白なノートを用意する。

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おはようございます!毎朝8時そろそろ定着してきたかな?

江坂・May Yoga Studio主宰のMayです!

 

何か新しいことを学ぶ時の心構えについて。

ヨガのみならず。

どんな分野においても言えること。

 

 

幼稚園から小学校に入学する時、教科ごとにまっさらの真っ白なノートを用意する。

みなさんもそうだったはず。

そして2年生になったら、また新しいノートを用意して、学年、組、名前を書いたはず。

 

 

大人になって、それがきちんとできているだろうか。

 

 

何か新しいことを学ぼうとする時、

大人はそれまで別の事柄や、似たような事柄を経験していて、

その経験に基づいて、新しいことを上書きするように学ぶ、という場面が往々にしてあること。

 

 

実はこれが、その新しい学びが効果的に得られないどころか、

穿った解釈、間違った解釈に繋がることがある。

 

 

もう既に、自分はある程度「知っている」つもり。

だからそれまでの自分の知識を基準にして、新しく見聞きしたことを歪曲して理解してしまったり。

自分はもう既に「知っている」から、その部分はいらない、と切り捨ててしまったり。

 

 

仮にも、教えを請いに自ら出向いた場で、

相手は、その道のプロフェッショナルであるにも関わらず、

自分はもう既に「知っている」という態度で、異なる分野の知識を浅はかにもひけらかして、

プロフェッショナルを値踏みするような態度を見せる。

 

 

自ら、学ぶ機会を逸している。

全くもって、もったいない。

 

 

既に何かが書かれたノートの上に、

新しく習ったことを、同じペンで書いても。

その学びが見えないどころか、元の内容すら読み取れなくなるのだ。

 

 

ヨガの流派によって、同じアサナ(ヨガのポーズ)でも入り方が異なったり、

名称が違っていたり、同じ方向性でのアプローチでなかったり。

既に「知っている」からと、新たな学びを軽んじるようでは、

どちらも失うことと同じだと、私は考える。

 

 

どの先生からも、どの流派からも、学ぶ時は、

幼稚園から小学校に上がる時の、新鮮な気持ちで。

まっさらのノートをもって、学び続けていきたい。

 

 

あ、今日はMayじゃないっぽい。

 

 

ちな先生のジヴァムクティヨガのレッスンを受けてきました!

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おはようございます!毎朝8時は?
江坂・May Yoga Studio主宰のMayです!

毎週二十数本のヨガレッスンを提供しているMayですが、たまたま昨日土曜は一つレッスンがお休みでした!

そしたら、金曜日の夜に、ヨガインストラクター仲間のちな先生から連絡があり、

「明日、心斎橋lulu lemonで無料のレッスンがあるんだけど、ちょうど1名枠が空いてて。
めいちゃん、来ない??」

びっくり!
普段なら絶対に行けないのに、このご連絡を頂いたところがスポッと空いていて、

「それ、きっと私の席だわ!」ということで、レッスンを受けに行ってきました!

ちな先生とのご縁も不思議なもので、May Yoga Studioに毎月施術をしに来てくれている「にわとこ」のもっさんのお友達で、大阪で三人で食事をしたことがきっかけでした。

ちな先生は、ニューヨーク発祥の、ヨガの古典を厳格に重んじる『JivaMukti(ジヴァムクティ)』ヨガを教えて下さいます。
このヨガは、音(ナーダ)も大切にします。ハルモニウムという楽器を演奏し、みんなでマントラ(聖なる言葉、ご真言)とヨガスートラ(ヨガの古典テキスト)の一説を一緒に唱えてから、アサナ(身体を動かすヨガのポーズ)がスタート。

今日は、秋分の日。
昼と夜の長さが同じになる、と言う日です。
ヨガでも、どちらかに傾きすぎるのではない、真ん中、中庸、中正、ということを重んじますね。
今日はとてもヨガ的な日だね。という、ちな先生のお言葉。

 

そして、アサナ。
同じアサナでも、普段の自分の取り方とは違うアプローチで行うと、また新しい発見があります。
ジヴァムクティヨガは、ヴィンヤサ(流れるようにポーズとポーズを繋ぎ、連続して動いていくレッスン)で、とても心地よく動き続け、気がつけば、汗がぽとぽとマットに!

 

自分の弱い箇所もやはり出てきます。
あー、なんかつらい!
ここめっちゃ痛い!
このポーズ早く終わらないかな。
普段のレッスンでも、このポーズ、無意識のうちに避けていたな。
この動き方、全然最近やってなかったから、この部分の筋肉が落ちてるな。

もっとこの部分を使えるようになりたいな、という自分自身への課題も頂きました。

 

レッスンが終わった後、数人の方とお話しし、しばらく会っていなかったヨガインストラクターの先生たちともご挨拶ができて、facebookで繋がったりと、楽しい時間でした。

 

「YOGA」(ヨガ・ヨーガ)という言葉の語源は、サンスクリット語の「Yuj」(ユジュ・ユジ)から来ています。
これは、「くびき、繋ぐ、繋げる」という意味。

ヨガは、
「身体とこころ」をつなげてくれます。
「私とあなた」をつなげてくれます。

 

改めて、自分自身の練習の大切さと、ヨガの楽しさ、清々しさを再確認した日でした!

 

 

May Yoga Studioのレッスンスケジュールはこちら。

レッスンのお申込みはmayyogastudio★gmail.com(★を@に変えてね)までどうぞ!

相反する2つが混在する

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全く相対する事がら。
二極の端と端に存在する事象。
対極にあるものが、同時に同じ場所に存在する。むしろ混在する。

矛盾を孕んでいるように思えますが、実はこれが、私たち人間であり、ヨガであり、この世の森羅万象です。

陰陽を表す太極図

陽と陰

光と影

表と裏

男性と女性

右と左

太陽と月

火と水

動物と植物

外と内

攻と守

自由と安定

肉体と精神

真反対にあると思われる事がらですが、それは同時に存在するということを知っていれば、大概のことはうまくいきます。
それが私たちそのものです。

海外の飾りとか、こういったモチーフを目にしませんか。

一般的に身体を動かし、アサナ(ヨガのポーズ)をとるヨガのことを、「ハタヨガ」と言います。
「ハ」[Ha]は、太陽(陽)を表し、
「タ」[Tha]は、月(陰)を表します。

私たちは、「陽」の要素も持っているし、同時に「陰」の要素も持ち合わせている。
「表」があれば必ず「裏」があり、「光」が当たる部分があれば、同時に「陰」になる部分が出てくる。
一人の人間の中にも、「男性」性と「女性」性が存在する。(ジェンダーの意味ではなくね)

ヨガの練習をしている時。
「外側」にある「肉体」を使って、「内側」にある「精神」に働きかけている。
ポーズを取りながら、自分に「挑戦」し、同時に自分自身を「守る」力を高めている。
どっしりと下半身を「安定」させるから、上半身を「自由」に動かすことができる。

レッスン内では、「大勢」で同じことを練習しながら、自分「個人」に集中している。

 

すべては、相反する(と思われる)ものが、同居しているのだか、その極に振り切ってしまい、どちらかに傾くことは実は簡単。だが、それではバランスを欠いてしまう。
バランスが悪いというのは、往々にして問題を生む。
だから、バランスを取ることがとても大事。

そのために、真ん中(のあたり)、中庸を行く。


もちろん時には、極に行ってしまうこともある。
でもそれが悪いことなのではなく、自分の振り幅を知っておくためには、一度端っこまで行ってしまうということも必要。
それでこそ、自分というものがようやく見えてくる。

端っこを知り、真ん中に戻ってくる。
そしてようやく、自分の軸(正中)が見いだせる。

 

夏の疲れがそろそろ…

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昨日は、マグネシウム不足からくる「足がつる」ということを書きました。

さて、今日のスタジオレッスンでのお話。普段は難なく出来ているアサナ(ヨガのポーズ)が、皆さん揃って出来なかったんです。びっくり!少し難易度の高いポーズではありますが、もちろん身体はしっかり温まっている状態で、そのアサナに至るまでの準備アサナもしっかり行った上で、レッスン終盤でのアサナが。

なぜかなぁ?と理由を探り、ちょっと考察してみました。

 

これには季節的な事柄がかなり関係しているように思われました。

ここ数日、朝夕は気温が下がり、秋めいてきましたね!

過ごしやすくなったとは言え、やはり日中は外へ出ると暑い!でも室内にいると(特に職場など)冷房が効いている。この寒暖の差で身体に及ぼす影響が蓄積して、夏の終盤に表れがちな肉体疲労が、気づかないうちに出てきているようでした。

昨日も書いたとおり、睡眠不足や運動不足のみならず、ストレスが多いとのマグネシウムがより消費されます。寒暖差を連日受けている身体は、意識に上らない程度のストレスにさらされていたのだと思います。それが、結果としていつものアサナができないことにつながったのかと。

(ストレスというのは、精神的なストレスだけでなく、身体が不快だと感じることも含みます。例えば、チクチクする素材で皮膚に刺激が与えられ続けるとか、体質に合わない食べ物を摂取したため身体が消化に手間取っているとか、そういったこともストレスです。)

 

身体を健やかに保つには、栄養と休養が大切。

栄養面では、ミネラル、ビタミン、たんぱく質のバランス。

休養面では、質の良い睡眠と、脳の休息。

 

季節の変わり目は、自分を見つめて、不要なものを取り除き、必要なものを与えることで乗り切っていきましょう!

足がつる!という人におすすめなのが…

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まだまだ残暑厳しいですね。ちゃんと眠れていますか?

夜中、寝ている最中に 「足がつるんです!」 それで毎晩起きてしまう、という方のご相談を頂いたので、今日はそのお話しを。

 

そもそも「足がつる」というのは、一部の筋肉がギュッと収縮した(ちぢんで硬くなった)状態で止まってしまい、その後、弛緩(ゆるんで柔らかく戻る)しなくなることですよね。

ですから、筋肉が収縮した後に、ちゃんと弛緩すれば、足がつるということはないわけです。

 

この現象は、体内のミネラル不足で起こります。

では具体的に、どんなミネラルが要因となるのでしょうか。

 

まず、身体を動かす際に筋肉が働きます。その時に筋肉を収縮させる働きを担っているのが、カルシウム

そして収縮して力を発揮した筋肉は元に戻ります。その時に筋肉を弛緩させる働きを担っているのが、マグネシウム

そうです!マグネシウムが不足すると、筋肉が元に戻らなくなる。

 

マグネシウム不足は、筋肉のけいれんを引き起こしますから、深刻な不足になると心筋梗塞を招くことも。

そして、睡眠不足、運動不足または運動過多が続いたり、ストレスが多いときに、体内に貯蓄してあるマグネシウムが消費され、不足になり、夜中に足がつるという症状として表れるのです。

ということは、マグネシウムを積極的に摂取すると、足がつるのを軽減させることができます。

(画像はお借りしました)

私達の身近な食生活の中で、マグネシウムが摂取しやすいのは、大豆、特にもめん豆腐に含まれています。豆腐を作る際に使う「にがり」もマグネシウムですから。

普段飲む水ににがりを数滴加えて飲むだけでも効果はありますよ。

少し前に「にがりダイエット」が流行ったことで、にがりを飲むのにそんなに抵抗がないのではないでしょうか。

 

先日、私のヨガレッスンを受けて下さっているダンサーさんに、にがりをお勧めしたところ、夜中に足がつって起きることがなくなったよ、とご報告下さいました!これでしっかり眠れますね!

 

 

 

無意識を意識化する~呼吸編

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無意識の領域を、意識的に見てみる。

それこそがヨガで練習したいことである。

例えば、呼吸。

人間は生まれてから死ぬまで呼吸をし続ける。
あまりにも当たり前のことなので、無意識に呼吸をし続けている。
ご飯を1週間くらい食べなくても、実はそう簡単に人間は死なない。
だけど、呼吸を1時間しないだけでも、人間は死んでしまう。
なのに、何を食べるか、いつ食べるか、どう食べるか、はしょっちゅう考えているのに、呼吸のことはあまり考えない。

この、「当たり前」だと思っていることを、「当たり前ではない」前提にしてみると、その意味やありがたさに気付くことができる。

人は、「病気」になって始めて「健康」に気付く。
それまでは「健康」が当たり前だと思っていたから、健康であることの意味やありがたさになかなか気付かない。

呼吸に意識的になってみる。

普段自分はどんな呼吸をしているのか。
鼻で、口で呼吸をしているのか。
吸った時におなかが膨らむのか。凹むのか。
吐いた時はおなかが凹むのか。膨らむのか。
長いのか、短いのか。
浅いのか、深いのか。
一定なのか、まばらなのか。
右の鼻の孔で呼吸しているのか、左なのか。はたまた両方の孔なのか。
そもそも呼吸をしているのか。止まっているのか。

どんな気分の時に、どんな呼吸をしているのか。

観察しだすと、今まで気づかなかった色んな事が見えてくる。
それが、自分を知るきっかけになる。

呼吸には潜在的な自分の思いが表れる。
アタマで考えるより先に、ココロが反応しているとき、それは呼吸に表れる。

意識的に観察してみると、かなりたくさんのことを無意識に行っていたんだとわかる。

そして、この呼吸を観察することが、自分を内観することの始まりである。
今、流行りの、「マインドフルネス」というのは、実はここがスタート。
「マインドフルネス」については、別の機会に改めて。




明日ももっと呼吸にフォーカスしてみようかな。

 

 

 

 

 

無意識を意識化する

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「電車男」「モテキ」「君の名は。」「悪人」など数々のヒット映画をプロデュースした、川村元気さんのインタビュー記事を読んだ。
「世界から猫が消えたなら」の小説の執筆者でもあり、私も購入させて頂き読んでいた。
彼の「表現方法が多様なのはなぜ?」という内容のインタビュー。

そこで川村さんは、
「僕はね、集団的無意識にアクセスしたいと思っているんですよ」
多くの人が感じ、気づいていながら、なぜか表現されていないこと。
そこに触れ、形にしていく。
のが、彼のやりたいことだ、と言っていた。

 

集団的無意識を言語化する


このインタビューの中での例え。

『駅前のポストの上に置き去りにされたクマのぬいぐるみ。喧噪の中、人々が通り過ぎていく日常で、そのクマを持ち上げ「誰のですか!」と叫ぶこと。』

それが彼の仕事だという。

『その瞬間きっと、「実はそれ、私も気になっていた」と、一斉に声が上がるはず。』と。


無意識を意識化する

川村さん一人にその仕事を任せっきりにしてはいけなくて。


私たち一人ひとりが、無意識的に認識していることに対し、意識的に気がつくことができれば、この世の中は、もっともっと面白くなるし、楽しくなるし、イキイキと、今という瞬間を生きる人だらけになると思う。

そう、過去でも未来でもなく、今この瞬間に最善を最大に最高に過ごすことができる。
そしたら、みんなが自分自身に満足して、みんなが幸せになれるんじゃないかなーて思う。

誰かの幸せは、誰かの不幸の上に成り立っている。
って、言われるけど、
今はそうかもしれないけど、そうじゃない世界が形成される可能性は、ここに多分にあると信じている。

 

あ、今日はなんかいつもとテイスト違ったな。

「元気をつくる」仕事。

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ここ江坂のMay Yoga Studioだけでなく、他のヨガスタジオに講師として呼んで頂いたり、企業さんや個人宅、様々なところでヨガを伝えることを仕事にしています。

先日、吹田市の児童センターに呼んで頂き、3歳以下のお子さんをもつママを対象としたヨガレッスンをさせて頂きました。
そこで、児童センターの先生に、

「May先生は、元気をつくる仕事をしていて素敵だね」

と言って頂けたのです。
とっても嬉しかった!!
そして、ハッと気がついた!
私は、「元気をつくる」ことができるんだ!と。

取り立てて何か特殊なことができる人間ではないし、ごく平均的な、普通の人。
そんな私ができることは、たいていの人ができること。

だからみんな「元気をつくる」ことができるはず。

ただ、私はヨガというツールを持っていて、それを使って「元気をつくる」仕事をしている。
そのツールの使い方を伝えて回ってる。

そしてヨガというツールは、実は簡単に手に入り、すでに持っている人もたくさんいる。
持っていることに気付いていない人もいる。
何もヨガスタジオやジムに通っているから手に入るものでもない。
何年もヨガスタジオに通っていても、ヨガというツールを手にできていない人もたくさんいる。

でも、ちょっとしたきっかけでそのツールの使い方がわかり、自分の生活に活かせるようになる。

私が、あなたが持っているツールの使い方をお教えします。
自分自身のために、「元気をつくり」ましょうよ!

現代人の弱体化

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先日電車に乗っていて、ガタン!とちょっと大きく揺れた瞬間。
ドサッという音が。
持っていた荷物を落とした、程度の大きさではない音にびっくりして目をやると。

そこに、10代後半~20代前半と思しき女性が、バッタリと倒れていた…。

見ていた私は、唖然としたのち、ある種の危機感を覚えました。

その女性は、ごく普通の若い方。
ハイヒールを履いていたわけでもなく、大きな荷物でバランスを崩したわけでもなかったのです。

ただ、ちょっとした揺れに対応できるくらいの踏ん張れる筋肉がない。
自分で自分の身体を支えられるだけの芯(コアマッスル)がない。
「危ない!」と思った瞬間に吊り革をしっかり掴めるだけの瞬発力がない。

それに彼女の転び方にも、違和感を覚えました。

ただバランスを崩しただけなら、普通なら、尻もちをつくはずなんです。

ですが、バッタリと人形が倒れるように、膝や関節が固まったままで床に真横に倒れていたのです。
筋肉が咄嗟に反応できておらず、立っていた姿のままでした。気を失ったわけではないのに。

 

幸い頭などを打ってはいないようで、周りの人が彼女に手を伸べて起こしてあげていました。
その女性は、恥ずかしそうにしているだけで、ちょっと大きな揺れで、バランス崩しちゃった、くらいにしか思っていないでしょう。

 

ですが、ヨガ講師として年間1500本くらいのレッスンを担当し、何百人の方の身体や動きを見ている私としては、ものすごくびっくりした光景でした。
転び方がおかしいだけでなく、若い女性の身体能力が極めて落ちていることの象徴だと思いました。

 

今、たくさんの方の身体を見ていて、特に10~20代女性の身体が弱くなっていることに肌感覚として気付いています。
同じグループレッスンをしていても70代の女性の方が力強く、矍鑠(かくしゃく)としっかり動いていることが多い。
同じ動きでも、もっと若い20代女性の方が不安定で出来ていなかったり、伸ばすべき筋肉が伸びていなかったり、という場面をよく目にします。

 

もちろん、個人差は明確にあり、「ナン十代」と一括りにするのはいささか雑だとは思いますが。
最近の日本人の身体。特に都会に暮らす人々の身体。その「質」自体が低下しているのでは、と懸念しています。

 

生活環境の変化。便利なことが増え、自分の肉体を使う必要が昔ほどなくなったこと。
洋式トイレの普及で足腰が鍛えられなくなったこと。
たくさん歩かなくなったこと。
…もっとたくさん理由はあるのかもしれません。


身体への感覚そのものが鈍ってしまうと、「失体感」を生み、それは肉体のみならず、そこに宿る「心」の病に繋がるのです。
このお話は、また改めて書きたいと思います。

 

私たちに与えられた、この「身体」を最大限に、大切に使いたいですね。